2021年


ーーーー9/7−−−− 東京パラリンピック


 
コロナ感染拡大が広がる中、国民の大半が否定的だったオリンピックが、言わば無理やり開催された。オリンピック中も感染は増加したが、その後に控えていたパラリンピックを中止するという選択肢は無かっただろう。中止すれば、巨額の金が動くオリンピックは大事にし、障害者の大会は軽んじるとの批判が沸き起こったに違いない。コロナの不安を抱えつつも、オリンピックを実施した手前、やらざるを得ない。そんな屈折した経緯からすると、初めから気の毒なパラリンピックだったと言える。

 私は、積極的にパラリンピックを見たくは無い。正直に言って、気の毒な人々を目にしたくないからである。障害のある人たちを見て平然としていられる心は、私には無い。見たいと思わないパラリンピックだが、一日中テレビ放映しているので、目に入ることがある。そして見続けることもある。見てしまえば、メダルとか国とかを離れて、純粋に感動するパラであった。




ーーー9/14−−− まんまと引っ掛かった!


 
クレジットカードのR社から、私のカードが不正使用された疑いがあるので、至急これこれの番号へ電話を掛けよ、とのメールが来た。この手のメールは怪しいものが多いので、無視することにしている。そうしたら、翌日先方から電話があった。話を聞くうちに、確かにカードが不正使用されようとしたが、R社のセキュリティ・システムで切り抜けたとの事実が判明した。そして、もうこのカードは使えなくなったので、再発行の手続きをするようにと言われた。

 何故このような事態になったのかと訊ねたら、「最近カードの情報を他者に漏らしたことはありませんか?」と聞かれた。そんな事はしていませんと、胸を張って言いたいところだったが、実はやってしまっていたのである。

 その二日ほど前に、R社を名乗るメールが来た。カードが何らかの理由で無効になっているので、リンクしたサイトに入ってカード情報を確認せよとの内容だった。従来は、このようなメールは完全に無視してきた。しかし今回は魔が差した。何らかの理由として、期限切れや住所を変更した場合などが書いてあった。これに引っ掛かった。

 二週間くらい前に、カードの暗証番号を変更した。ついでにかねがね気になっていた、名前のローマ字表記のつづりを、OOTAKEからOTAKEに変えた。これらの変更が影響して、カードが無効になったと勝手に判断した。そして、メールで指定されたサイトにアクセスして、カード情報ををインプットした。そのようなことを、R社のみならず、時を同じくして似たような内容のメールを送ってきた、ネット通販A社に対しても行った。「それがいけなかったですね」とR社の担当者は電話で言った。クレジット会社やネット通販会社が、メールでカード情報を聞き出そうとすることは、絶対にあり得ない事だと。

 カードを再発行する手続きは、ちょっと面倒だった。まず、R社とA社の双方について、登録してあったIDとパスワードを変更する。それが済んだら、カードの裏面に書いてあるサービスセンターに電話をして、IDとパスワードの変更を終えたことを連絡する。しかし電話が混んでいて、なかなか繋がらなかった。ようやく通じた電話の相手は、これからカードの再発行を行うが、届くまで一週間程度かかると言った。そして、現在のカードは鋏で切って捨てて下さいと付け加えた。

 こういう詐欺には引っ掛からない自信があった。しかし、上に述べたような事情で魔が差し、引っ掛かってしまった。これが詐欺のテクニックというものなのだろう。毎日何万件、何十万件ものメールを、不特定のユーザーへ送り続ける。ほとんどのユーザーは無視すると思われるが、中には今回の私のように、たまたまのタイミングで、普段とは違う心理が働き、罠にはまる人もいるだろう。そういう確率論で、タ-ゲットを設定しているに違いない。

 カード情報を手に入れた奴らは、「やったぜ!」とガッツポーズを取ったに違いない。その割には、不正に使おうとした金額は、5万円程度と小さかったが。




ーーー9/21−−− やはり猿だった


 
食卓の上に置いてあったアーモンド入りの容器(タッパー)が無くなり、猿の仕業ではないかと疑った事件を、7/27の記事に書いた。その時点では、確証は無かったが、このたび猿の犯行であることが判明した。証拠が発見されたのである。

 工房で仕事をしていたら、カミさんが憮然とした表情でやって来て、タッパーが見付かったと告げた。案内された現場は、庭の梅の木の下の草むら。猿の侵入が疑われた網戸のすぐ外である。秋になって草の勢いが衰え、地面が見えるようになった。そこに、タッパーの本体と蓋がばらけた状態で見付かったのである。本体には、歯型が付いていた。もちろんアーモンドは無い。

 犯人(猿だから犯猿か)は、アーモンドの入ったタッパーを抱えて、侵入した網戸から外へ出、梅の木の下で容器を分解し、中のアーモンドを食べた。蓋を回して外すことは思い付かなかったので、歯でかじってこじ開けた。そういうストーリーに間違いない。

 あらためて、猿が網戸をスーっと開け、部屋の中を行進し、食卓に這い上がり、タッパーを手に取り、来たルートを戻って網戸から出て行ったというシーンを想像すると、なんだか不気味である。室内に他の食べ物もあったはずだが、アーモンドだけ持って行ったというのも不可思議である。容器の中の物体が、食べられる物だということが、どうして分かったのだろう? おそらくアーモンドを食べた経験は無かっただろうから、見て判断したのでは無いだろう。蓋が閉まっていたから、匂いもしなかったはずだ。動物的勘というものが働いたのか。

 部屋の中を荒らしたり、汚したりということを一切しなかったのは、何故か。単独行動の猿で、ビクビクしながら侵入し、早く切り上げて帰りたいという一心だったのか。それとも礼儀正しく、品の良い猿だったのか。そのわりには、家を出るときに網戸を閉めていなかったが。

  カミさんはこの事件の顛末を、ご近所のおばさんに話した。礼儀正しい猿でも、帰る時に網戸は閉めなかったと言ったら、おばさんは、「閉めてたら、気付かなかったんじゃない?」と返したそうだ。妙な展開の会話だが、なんだか面白かった。





ーーー9/27ーーー 愛しているもの


 ある本を読んでいたら、印象的な言葉があった。アラスカや南米で活動している、若い日本人クライマーの言葉である。

 Do what you love. Love what you do.

 愛していることをやりなさい。やっていることを愛しなさい。

 ネットで調べたら、オリジナルは米国の作家の言葉らしい。それをこのクライマーが引用したのだろう。それはさておき、その若者の現在の職業、活動の場と重ね合わせると、まことにしっくりと心に入ってくる言葉である。私も、どちらかと言えばこの言葉が指し示すような人生を送ってきたので、一層共感を抱くのかも知れない。

 この言葉のキモは、Loveという単語である。これは日本語に訳せば「愛する」であるが、日本人にはいささか恥ずかしく、使うのがためらわれる単語である。愛するというのは、せいぜい人に対して使うものであり、それ以外に対しては「好き」という単語を使うのが普通だろう。だから、日本人のセンスからすれば

 好きなことをやりなさい。やっていることを好きになりなさい。

の方が自然かも知れない。しかしこの表現では安っぽくて、臥龍点睛を欠くと言うものだろう。

 ところで、ひとつのエピソードを思い出した。

 会社員時代、インドネシアのプラント建設工事現場で仕事をした時期があった。工事が終盤にさしかかり、現場では部分的に機械の試運転なども始まって、慌ただしくなった。週に一度のプロジェクトミーティングで、一人の初老の職場長が発言をした。

 「これから工程はますます複雑になって行きますが、皆さん決められた手順を守り、慎重に仕事を進めて下さい。私は機械を愛しています。迂闊な行為で機械を破損したりすることが無いよう、十分に気を付けて下さい」

 このような人たちのおかげで、巨大な怪物のようなプラントが、ゆっくりと目覚めるように、立ち上がって行くのである。